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GS

spiders1’64年ころからいわゆるエレキ・ブームがやってきます。それまではビッグバンド・スタイルが主流だったカバーポップスの伴奏にもギターを中心にした、少人数のコンボスタイルが登場してきます。

こういった流れの中でスパイダースが’65年5月に「フリフリ」(詩・曲:かまやつひろし編曲:田辺昭知)をリリースします。「グループサウンズ」の登場です。(以後、GSと表記します。)
メンバーはリーダーの田辺昭知(ドラム)、加藤充(ベース)、かまやつひろし(ギター)、井上孝之(ギター)、大野克夫(キーボード)、堺正章(ヴォーカル)、井上順(ヴォーカル)の7人。アレンジには若干のぎこちなさは残るものの、ギターを前面に押し出したファンキーなサウンドとロックスピリットを感じさせるヴォーカルは記念すべきGS第1作にふさわしいナンバーに仕上がっています。B面の「モンキー・ダンス」(詩:阿久悠・曲:脇野光司)はけだるいヴォーカルが印象的であるとともに、以後、偉大な足跡を残す作詞家阿久悠のデビュー作でもあります。
3作目の「ノー・ノー・ボーイ」(詩:田辺昭知・曲:かまやつひろし)はトロピカルな香りのするミディアム・スローのバラードで、洗練されたサウンドはソングライターとしての、かまやつひろしの資質の高さを窺わせます。
次のシングルの「青春ア・ゴーゴー」(詩:青島幸夫・曲:脇野光司・編曲:大野克夫)は大野克夫のオルガンが大変印象的なナンバーで、同名映画の主題歌でもあります。日活映画の記述も併せて参照して下さい。
5枚目の「ヘイ・ボーイ」(詩:ささきひろと・曲:かまやつひろし)は「バリ島珍道中」という映画での堺正章のドラムを叩きながら歌うシーンが印象的でした。
堺正章のヴォーカルとそれに絡むコーラスが印象的な「サマー・ガール」(詩:ささきひろと・曲:かまやつひろし)を挟んで、ついにスパイダースにも大ヒットが生まれます。
「夕陽が泣いている」(詩・曲:浜口庫之助・編曲:ザ・スパイダース・チャーリー脇野)は’66年9月にリリースされたセンチメンタル全開!のバラードで、ハマクラらしさ溢れるメロディーにマチャアキ(堺正章)のヴォーカルの上手さを堪能できるいかにも日本人好みのナンバーです。この1曲でスパイダースが世間に知れ渡ると共に、ブルーコメッツの「青い瞳」のヒットとも相まってGSという新しいムーブメントが認識されるきっかけにもなりました。
井上順のシングル初のヴォーカルとなる、「なんとなくなんとなく」(詩・曲:かまやつひろし・編曲:林一)を挟み、’67年3月にリリースされたのが私の一番のお気に入りの「太陽の翼」(詩・曲:利根常昭・編曲:林一)です。

「太陽の翼」の素晴しい点はなんといっても「バランスの良さ」です。哀愁味溢れるメロディー、印象的なAメロのオルガンのリフ、力強いサビのビートを強調したリズムとそれに絡むコーラスワーク、というようにどの要素も絶妙なバランスを保って楽曲の質を高めるのに貢献しています。スパイダースのバンドとしての資質の高さは、実はこのナンバーに顕著に表れている、と私は思います。作曲者の利根常昭は寡作ですが、私のツボを見事に射抜いてくれるイカしたソングライターで、要注目です。

この他にも優れたナンバーがたくさんあるので、私のお気に入りを簡単にご紹介します。(カッコ内は作曲者)
「風が泣いている」’67(浜口庫之助)「真珠の涙」’68(かまやつひろし)「赤いドレスの女の子」’68(かまやつひろし)「涙の日曜日」’69(鈴木邦彦)「エレクトリックおばあちゃん」’70(かまやつひろし)「涙のイエイエ」’67(かまやつひろし)「夢のDC8」’67(かまやつひろし)「夜明けの太陽」’67(かまやつひろし)「メラメラ」’67(かまやつひろし)「あなたといる時そんな時」’68(井上孝之)私のお気に入りだけでCD1枚作れますね。(笑)

私の考えるスパイダースの優れたところは、メンバーのミュージシャンとしての質の高さ、かまやつひろしと大野克夫という、類稀な二人のアレンジャーを抱えるアレンジの素晴らしさ、ヴォーカリストとしての堺正章の歌声の魅力、といった音楽的な要素に加えて、ステージにおいての抜群のショーマンシップも他の追随を許さず、バンドとしてのパフォーマンスの高さは現在においても決して色褪せていないと信じます。
スパイダースに接したことのないみなさん、この機会に是非一度聴いてみて下さい。決して損はしませんよ。(笑)

スパイダースが成功を収めた事で、GSという新しいムーブメントが世間に注目されていきます。次回はスパイダースと共にGSを世に広める原動力となったもう一つのメジャー、ブルーコメッツを取り上げます。

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リズム歌謡

00030002000101炎のように燃えようよ♪ ’64年8月、橋幸夫の「恋をするなら」がリリースされます。イントロからラッパ隊全開のこのナンバーがそれまでの青春歌謡の流れを変えます。この曲の主な特徴を挙げると「従来の青春歌謡に比べてアップテンポ」「歌が始まっても演奏が後ろに引っ込まない」「カバーポップスで用いられた(ロック的な)手法を巧みに取り入れている」という事でしょうか。とにかくそれまでには無かった「日本製のロック」が作詞:佐伯孝夫・作曲:吉田正のコンビによってもたらされたのです!佐伯・吉田コンビはその後も9月に「ゼッケンNo.1スタートだ」11月には「CHE CHE CHE(チェッ チェッ チェッ)」と更にパワーアップしたナンバーを発表します。一連のナンバーに共通しているのは、カバーポップスやウエスタン調の歌謡曲と違って洋楽的なメロディーを直接取り入れるのではなく、日本的なメロディーにロック的な演奏の手法を融合させてビート感を出す、という斬新な特長を持っているところです。
橋幸夫は更にこの手のナンバーを数多く吹き込み、いつしか一連のサウンドは「リズム歌謡」と呼ばれるようになります。以下、私の気に入っているナンバーをいくつか取り上げておきます。(カッコ内は作曲者)

 「恋のインターチェンジ」’65(藤家虹二)「すっとび野郎」’65(平川浪竜)「あの娘と僕(スイム・スイム・スイム)」’65(吉田正)「僕等はみんな恋人さ」’65(いずみたく)「恋と涙の太陽(アメリアッチ)」’66(吉田正)「恋のメキシカン・ロック」’67(吉田正)「思い出のカテリーナ」’67(すぎやまこういち)「虹のレークタウン」’68(すぎやまこういち)

リズム歌謡の好敵手として、「御三家」のひとり、西郷輝彦も忘れてはなりません。こちらは橋幸夫から遅れること1年、’65年7月に「恋人ならば」(詩・曲:米山正夫・編曲:重松岩雄)を最初の「リズム歌謡」としてリリースしています。一連の橋幸夫のリズム歌謡と同様の手法で作られた小気味いいアップテンポのナンバーで、西郷輝彦は元々洋楽志向だったこともあり、その歌唱には一点の翳りもありません。次にリリースされたのがイントロでのファルセットが印象的な「星娘」(’65年9月詩・曲:浜口庫之助・編曲:小杉仁三)で昭和30年代からの洋楽的なメロディーメーカーの第一人者である浜口庫之助のセンスが光るナンバーです。’65年12月リリースのやはり小気味いいアップテンポの佳曲「この虹の消える時にも」(作曲:きたはらじゅん)を挟んで、音楽通の間で「幻の名曲」として名高い「西銀座五番街/恋のGT」(両面とも詩・曲:米山正夫・編曲:重松岩雄)が’66年1月にリリースされます。(私はこの2曲が聴きたい為に「西郷輝彦ゴールデン・ボックス」を大枚1万円!を投じて購入しました。)前者は’66年1月リリースを意識した「Sixty-six」というコーラスが印象的な引き摺るようなリズムのナンバーで、後者はカーレースをテーマにした、迫り来るようなアップテンポのナンバーです。どちらの楽曲も大変水準が高く、「幻の名曲」の評判に違わぬナンバーです。そしてもう1曲ぜひ取り上げておきたいのが、’66年10月にリリースされた「傷だらけの天使(エンジェル)」(詩:我修院健吾・曲:銀川晶子・編曲:小杉仁三)です。ブルーコメッツを彷彿とさせるイントロのドラムとキーボードが印象的で、曲全体をリードしています。情緒過多とも言えるエキセントリックな歌詞を歌いあげる西郷輝彦の熱唱が演奏に上手くマッチした印象的なナンバーです。同名映画の主題歌にもなっていますので、以前の記述「歌謡映画IN日活(その2)」も併せてご参照いただければ・・

この他にも私の気に入っているナンバーを記しておきます。
「星のフラメンコ」’66(浜口庫之助)「月のしずく」’68(五代けん)「星のフィアンセ」’68(小杉仁三)

もう1曲、印象的な「リズム歌謡」に三田明の「アイビー東京」’66(詩:白鳥朝詠・曲・編曲:吉田正)があります。こちらもアップテンポのイカしたナンバーなのですが、「何故アイビー(当時流行した大変ベーシックなファッションで、私と「モナムール!歌謡ポップス」の運営者である、とろりん村のとろりさんは、お互いにこのファッションの信奉者なのです。)なのに、カレッジ・フォークで無く、リズム歌謡なのか?」という提起を目にすることがあるのですが、私の推測するところでは制作サイドがアイビーというファッションの概念を知らずに、女性向きのニューモードの一つか何かだろう、という憶測で作られた為、このようなカッコいいサウンドが出来上がったのではないか、と邪推しています。勘違いが惹き起こした珍現象が却って上手く作用した、と思えてなりません。

*写真は上段左から西郷輝彦1・2橋幸夫1、下段が橋幸夫2です。

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歌謡ポップスのルーツ

1歌謡ポップスのルーツをずーーっと辿って行くと、戦前の「服部良一メロディー」へ行き着いてしまいそうなんですが(笑)キリが無いので、「歌謡ポップス前夜」という事で昭和30年代の状況を眺めてみたいと思います。

Oldiesのルーツを考えた時に興味深かったのが「ベニー・グッドマン物語」という映画です。この映画の中で主人公は「どうしたら若い人がダンスホールに来てくれるか」「どうしたら若い人を熱狂させられる音楽を作れるか」というテーマで、バンドの面々と作曲、編曲の面で模索している様子が描かれています。おそらく’30年代の話でしょうから、今こういったビッグバンドスタイルのスタンダード・ナンバーを聴けば、良識的な大人の音楽に聴こえますが、前回歌謡ポップスの定義で触れた「若者の踊れる音楽」に正にぴったりなテーマで、ある種の感動を覚えました。

引用が長くなりましたが、高校卒業前のダンスパーティー(Promと呼ぶそうです。)などの伝統のないわが国では、若い人が人前で踊るといったら、「盆踊り」くらいしか思い浮かびません。そこで流れるのは民謡を中心とした土着の音楽ですから、歌謡ポップスに結びつく要素は非常に少ない、と言わざるを得ません。
いきなり否定してしまいましたが、昭和30年代の歌謡曲の大きな流れの一つに「青春歌謡」と呼ばれるジャンルがあり、短調の楽曲の多くはこの邦楽的、あるいは土着的なルーツを容易に見出すことが出来、後に歌謡ポップスにも影響を与えている楽曲も皆無ではありません。

主として大人向けの歌謡曲の中には「都会調」と称される「日本のブルース」の流れを汲むものが多くあり、この流れは歌謡ポップスにも受け継いでいかれます。代表的な歌手として、フランク永井・アイジョージ・西田佐知子をあげておきましょう。(念の為に申し上げますと、「ブルース」と言ってもここでマディ・ウォーターズだのロバート・ジョンソンの話をしたい訳ではありません。(笑)「服部メロディー」や淡谷のり子さんの「港のブルース」を思い浮かべていただければ・・)

戦後にアメリカから入ってきた「ウエスタン」も日本人の作曲によるウエスタン調の歌謡曲が存在する事から、傍流の一つではある、と考えます。

「カバーポップス」からの流れは一番の主流である、と考えるのが妥当でしょう。
昭和30年代当時、「若者の踊れる音楽」といったら、カバーポップスしか無い、と言っても過言ではない状況でしたので、歌手にしても作り手にしてもこういったサウンドを日本人自身で作り上げたい、と考えるのが自然な流れだと思います。ザ・ピーナッツの「ふりむかないで」「恋のバカンス」(共に宮川泰 作曲)やビルボードでNo.1になった坂本九の「上を向いて歩こう」などはその代表的な例である、と考えます。

昭和30年代後半になると、日本にも「エレキ・ブーム」が到来します。ここまで述べてきた個々の状況と相まって突発的に現れたのが橋幸夫をはじめとする「リズム歌謡」で、歌謡ポップスの最も正統なルーツである、といっても過言ではないでしょう。

*写真は坂本九

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歌謡ポップス

11私が最初にレコードを買ったのは’67年で、荒木一郎の「今夜は踊ろう」という曲でした。
続いてブルーコメッツ・ワイルドワンズ・ヴィレッジシンガース、という当時流行していた「グループサウンズ(GSとも呼ばれた)」に夢中になりました。これが私の「歌謡曲」への原体験と言って良いと思います。

その後、中学校で英語の読み方を習い、いとこにBeatlesを教えてもらったおかげで、しばらく「歌謡曲」とは遠ざかります。

18歳くらいで(’56年生まれです。)Oldiesを意識して聴くようになるのですが、20歳を過ぎてからOldiesを日本人が日本語でカバーした「ロカビリー」なるものを知り、弘田三枝子をはじめとして、ずいぶんたくさんの「ロカビリー」を聴きました。そうした中でおぼろげにそうした歌手のオリジナル、つまり日本製のポップスの存在はどうなんだろう、と模索した事はありました。もっとも、当時は深く追求しませんでしたが・・・(最近は「カバーポップス」という呼称が一般的ですので、次回からは「カバーポップス」を使用するようにいたします。)


Oldiesは継続して聴いておりましたが、熱心なコレクターではないので、’95年くらいにはネタが殆ど無くなってきました。丁度その頃から、昭和40年代を中心とした洋楽テイストな歌謡曲のCDが目に付くようになりました。
これが今回取り上げている「歌謡ポップス」なのです。

Oldiesを聴いている時良く考えたのは「Oldiesのルーツはどの辺なんだろう?」という事でした。
詳細は省きますが、’40年代からのダンス音楽が熟成されて’50年代初期のR&Rとして形になったと言って間違いは無いと思います。

そもそも「歌謡ポップス」って何?と言うところから始めなければいけないと思いますが、私の考える「歌謡ポップス」とは主に昭和40年代の若者向けの踊れる音楽、というのがおおまかな定義です。
Oldiesと言うのは’50年代から’60年代の主にアメリカで作られた若者向けの音楽で、ロックンロール・ドゥーワップ・ロッカバラード・サーフインスト・リズムアンドブルースなどの様々なサウンドの総称であると考えますが、これと同様に「歌謡ポップス」もグループサウンズ・ビートナンバー(GSスタイルを名乗っていないが、サウンドがGSテイストなもの。「一人GS」という呼び方をされる場合もある。)・リズム歌謡(橋幸夫に代表される、エレキバンド出現以前のスタイルで演奏された、いわばビートナンバーのルーツ)・更にソフトロック(読んで字の如しであるが、演奏にどこかしらビートが感じられる音楽)・コーラスグループなどなど、実に多種多様ですが、こういった音楽を私の言葉で語ってみよう、というのが今回の趣旨です。

今回は序文なので、「歌謡ポップス」のルーツはどの辺?という次回のタイトルをご紹介して次に繋げたい、と思います。
尚、日活映画のカテゴリーでは、基本的に敬称を付けていましたが、今回以降は基本的に敬称を略させて頂こうと思っておりますので、悪しからず。
又、「歌謡ポップス」という用語は「モナムール!歌謡ポップス」という、音楽を敬愛している運営者の「とろりん村のとろり」さんの命名されたものを拝借いたしました。

写真はブルーコメッツです。

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スパイダース IN 日活

みなさんは堺正章さんやかまやつひろしさんというお名前を聞いたことがあるでしょうか?このお二人が昭和40年代に在籍したバンドが「スパイダース」です。詳細は改めて紹介しますが、当時は1、2を争うグループだったのですよ。
’67年から’68年を中心に、メンバーが歌から演奏まで全てこなしてしまう演奏シーンをフューチャーした「GS映画」が数多く作られましたが、スパイダースはさすが人気者だけあって、数多くの日活作品に登場しています。

私の観た中では、前述した「青春ア・ゴーゴー」(’66)が年代的に一番最初で、主題歌のタイトルバックを務めるほか、(ヤングアンドフレッシュは「ゴー・ゴー・ゴー」と歌うのですが、スパイダースは「ゴーゴー・ゴーゴー」と軽快に歌い上げています。大野克夫さんがスチールギターを弾いているのが珍しいです。ちなみにレコードではオルガンを弾いています。)ヤングアンドフレッシュがジャズ喫茶でミーティングをしているシーンでは「ヘイ・ボーイ」「ノーノーボーイ」(このときも大野さんはスチールギターです。)を演奏しています。テレビ番組の冒頭で30秒くらい演奏するシーンがあるのですが、この時のマチャアキ(堺正章さん)のタンバリンを叩きながら踊るシーンは実にサマになっています。ヤングアンドフレッシュとの合同演奏では、リーダーでドラムの田辺昭知さんが「これがプロのドラムだぜ」といわんばかりに力いっぱい叩きつけるのですが、ヒデ坊(和田浩治さん)も負けていません。細かいリズムを叩き出して応戦しています。それにしてもヴォーカルの井上順さんがいませんね。どこで油を売っていたのでしょう(笑)

次に私が観たのはやはりヤングアンドフレッシュの項で取り上げた「夕陽が泣いている」(’67)です。井上順さんもこんどはちゃんと出演しています。(笑)「太陽の翼」の演奏シーンに続けてヤングアンドフレッシュが「僕だけのエンジェル」を演奏するのですが、その時の堺さんの「あったよなー」というおどけたセリフが印象的です。
ジャズ喫茶の出演シーンで堺さんが「みなさんも無駄な抵抗をやめて、この曲を覚えて下さい」という司会のセリフに「さすが、ウマイ事言うなー、今度(司会の)弟子入りしようかしら」と感心していると、「涙のイエイエ」の演奏がはじまるのですが、この時に堺さん、かまやつさん、井上順さんそしてギターの井上孝之さんの4人が並んで「イエイエ」というダンスを踊りながら歌うのですが、4人の息がぴったり合っています。

それから「ザ・スパイダースのゴーゴー向こう見ず作戦」(’67)、となるのですが、タイトルに「ザ・スパイダース」と冠されている割にはヤングアンドフレッシュと松原智恵子さんの出番が多いです。まだメンバーの演技が信用されていなかったのかな。(笑)私が勤めていたビクターの工場らしきものが映って、ちょっとビックリしました。

「ザ・スパイダースの大進撃」(’68)はスパイダースの魅力が堪能できる、大変面白い作品でした。
ストーリーはタンバリンに仕込まれた指輪(これを肌身離さず身に着けているマチャアキは高価なモノだとは知らない)と、空港でウッカリ摩り替ってしまった怪しい書類の入ったカバンをそれぞれ二組の悪人が付け狙う、というものでビートルズの「ヘルプ・4人はアイドル」という映画にそっくりです。(私は敢えてスパイダースの方が面白かった、と断言します!)
マネージャーに「青春ア・ゴーゴー」でも同様の役をやった波多野憲さんが、その妹でメンバーのアイドル的存在の和泉雅子さんが登場します。マチャアキと順(井上順さん)の二人に遠まわしに着物をねだるシーンや、「ないごてか」(「なんとなくなんとなく」の鹿児島弁バージョン)の演奏シーンで観客がぞろぞろ席を立ち、メンバーがすっかり白け切っているのをよそに、一人ノリノリで踊るシーンなど、マコちゃんの本領発揮!です。こういったマコちゃんの姿を観ているだけで、雰囲気がすっかり明るくなるところがマコちゃんの魅力です。

指輪を狙う謎の美女の役の真里アンヌさんも大人の匂いを振りまいて、なかなか好演でした。
思わず吹き出したのが堺正章さんの実の父親で、得意のおばあちゃん役で出演する堺駿二さんの「この人達は散髪代も無いのかね、赤いおべべ着て、親の顔が見たいわ」というセリフ。監督は中平康さんのようです。さすが!

(悪者に狙われて)危険だから、とホテルの一室で缶詰にされるシーンでヴィレッジ・シンガースがブラウン管を通して歌っていると、「いいよなー、俺達もパーっとしたところでやりたいよな」というセリフに続けてメドレーで演奏シーンが流れます。「僕のハートはダンダン」ではメンバー全員がギターを持って演奏します。(加藤充さんはベースかもしれません)田辺さんが歌う「ロンリーマン」では、昭ちゃん(田辺さん)は照れくさいのか、タバコをくわえたままなんですが、歌いづらくないんでしょうか?(笑)
演奏シーンで、間奏になるとマチャアキと順が「いい女だなー」「無理すんな」などと会話しているのですが、間奏が終わるといきなり歌いだす、というのも楽しかったです。バスの車内で「メラメラ」を演奏するのですが、バスが止まると演奏もいきなり止まり、バスが動き出すと再び演奏が始まる、というのもありました。ラストで主題歌の「夜明けの太陽」をステージで演奏しているのですが、ご丁寧に「赤白歌合戦」という文字が。(笑)

芸達者な堺正章さんと井上順さんに引っ張られて、作品全体も楽しい喜劇映画として仕上がっている、と思います。

「ザ・スパイダースの大騒動」(’68)は後ろを走っていた車と衝突して、運転していた女性と仲良くなるのですが、結局その女性は更に後ろから追突した車を運転していた男性と結婚してしまう、というドタバタ喜劇です。

マチャアキが後ろの車の女性に見とれていると、順が「どーんとぶつかってみろ」というと本当に車がぶつかってしまいます。この女性を演じるのが奈美悦子さんで、現在と違って(笑)おしとやかな女性を演じています。「愛しているから」という歌も歌っています。

マチャアキが妄想するシーンが何度も出てきますが、「風が泣いている」では南の島にいるマチャアキ(後ろで奈美さんも踊っているような。。)と北極で演奏している他のメンバーの対比がおかしかったです。「なればいい」ではとてもサイケデリックな映像が見られます。

ラストでまたもや後ろの車の女性に見とれているマチャアキと順に、その女性が口紅で「病院で観てもらった方がいいんじゃない?」と書いた雑誌を渡すシーンも笑えました。

「ザ・スパイダースのバリ島珍道中」(’68)は海外公演に出かけるスパイダースがまたもや悪者に追いかけられ、予定しなかったバリ島へ逃げ込む話です。
香港に出かける直前にバナナにつまづいて昭ちゃん(田辺昭知さん)が同行出来なくなってしまいます。「次の公演地にいくまで、マチャアキ、代わりにやってくれ」という訳で、香港での「ヘイ・ボーイ」の演奏シーンではマチャアキがドラムを叩きながら歌います。
今回は謎の美女(笑)の役に杉本エマさんが扮して、スパイダースの行く先々に現れます。「メラメラ」でのゴーゴーを踊るシーンはとてもセクシーです。
悪者に追いかけられ、空港に現れるスパイダースは、「とにかくすぐ出発する便に乗れ」とばかりに逃げ込んだのがインドネシアのバリ島で、大学の研究で当地に滞在している日本人女性の役の小川ひろみさんに出会います。彼女はとにかく素敵です。彼女の出演シーンだけでもこの作品を観る価値があります。
「サマーガール」のプールのシーンでは、犬かきで泳ぐマチャアキが笑えます。「メラメラ」の演奏シーンでは小川さんとインドネシア人の恋人が親しそうに話しているのを見たマチャアキが、嫉妬に狂って(笑)歌うところが歌詞とぴったりで、カッコよかったです。
事件が解決して、そのお礼に現地の人達が見守る中で「真珠の涙」を演奏するのですが、曲の最後の♪真珠の涙 という歌詞に合わせて小川ひろみさんが大粒の涙をこぼすシーンは本当に感動的でした。

揺ぎ無い演奏力、歌唱力と抜群のショーマンシップを発揮して、「魅せるGS」の最高峰に君臨するスパイダースの映画は充分鑑賞に耐える、と私は思います。

ここまで日活映画に関わる話をさせていただいたのですが、音楽好きのヤスシの虫が疼きはじめてきました。
日活映画の話を一旦終わりにさせていただいて、次回から歌謡曲にまつわる話をさせていただきたい、と思います。
これまで駄文にお付き合いいただいた皆様、ありがとうございます。
「オレを忘れちゃ困るぜ、ヤスシ。お墓の下でオネンネしたくなかったら、早いとこ再開するんだな。その方が身の為だぜ。」という「エースのジョー」の声が聞こえるような気がします。機会を改めてまた、日活に関するお話をさせていただきたい、と存じます。
「その日まで、サラバじゃー」

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ヤングアンドフレッシュ (その2)

futarinoginzabokudakeno「二人の銀座」(’67)はいわゆる「ベンチャーズ歌謡」のはしりで、大ヒットした主題歌をフューチャーした作品です。
山内賢さんが電話ボックスで拾ったのは、「二人の銀座」という未発表曲の楽譜。作者に無断でこの曲を演奏し、好評を博してしまいます。それを知った楽譜の落とし主、和泉雅子さんは山内さんに猛烈に抗議するのですが、いつしか和解して、和泉さんの姉の恋人で、「二人の銀座」の作曲者の新田昌玄さんを探す、というのがあらすじです。
もちろん、ヤングアンドフレッシュの演奏シーンが最大のみどころで、「二人の銀座」だけで8回!もあります。(それぞれ微妙にアレンジの違うところがミソ。)ハイライトはジャズフェスティバルのシーンで、鼓笛隊の小太鼓のごとく細かくリズムを刻む和田さんのドラム、間奏でリズムに乗って軽快なダンスを見せるマコちゃん(和泉さん)とメンバーの面々など、これぞ映像で魅せる音楽シーンの醍醐味、という感じです。3回目のマコちゃんと山内さんの別の画像をオーバーラップさせているシーンも印象的です。山内さん自身の作曲した「きっと何処かに」も演奏しています。

そしてもう一つのみどころは、オテンバで率直に物を言う等身大のマコちゃんの魅力が画面いっぱいにあふれているところ。山内さんに抗議するシーンの「返して、あたしの楽譜、恥知らず。なによ、他人(ひと)の楽譜盗んで、まるで自分の曲みたいに。」このセリフこそ、マコちゃんの持ち味であり、魅力なのです。つい最近まで、和泉雅子さんは私にとって芦川いづみさんに次ぐ、「日活女優ナンバー2」だったのです。(ちなみに現在はマコちゃんと稲垣美穂子さんが同格でならんでいます。)「踊りたいわ」という曲をミュージカル風に歌い踊るシーンではコミカルな一面を見せてくれます。

歌うシーンの顔ぶれも豪華で、尾藤イサオさんは黒っぽいフィーリングで「ちぎれた涙」「恋の苦しみ」を、ブルーコメッツは端正な二枚目ぶりを演出して「ブルーシャトー」「甘いお話」「青い瞳」を演奏しています。(この「青い瞳」というナンバーは私が加入しているSpiritsというバンドで駆け出しの頃良く練習しました。)メンバーチェンジ以前のヴィレッジ・シンガースの貴重な演奏シーンも有ります。

好評を博した「二人の銀座」の続編とも言えるのが「東京ナイト」(’67)で、こちらもベンチャーズの作曲した主題歌が効果的にフューチャーされています。

ストーリーは芸者置屋の後を継ぐことを嫌って京都を飛び出した舞妓役の和泉雅子さんが、ヤングアンドフレッシュの面々に助けられ、同じ境遇の姉に再会します。ヴォーカルの徳永芽里さんが交通事故にあってしまい、出演中のエレキバンド勝ち抜き番組に出演出来なくなったため、マコちゃんに代役を頼むのですが、最初ははっきりしない様子です。姉に再会して吹っ切れたマコちゃんはなんと、舞妓姿でヤングアンドフレッシュと共演します。意を決して京都へ帰るマコちゃんの新幹線の車内のシーンでエンディング、となります。

今回のマコちゃんは京都弁バリバリでおしとやかな舞妓さんを演じますが、姉との再会シーンでは感情を露にして、姉の長内美那子さんを罵ります。この演技のコントラストが見事でした。長内美那子さんと芸者仲間でクラブのママの役の高千穂ひづるさんの色っぽさも忘れられません。「レインボー・ラブ」を歌う徳永芽里さんの大人っぽい演技も見事です。山内さんの妹役で快活な役柄を好演した小橋玲子さんもチャーミングでした。

例によってヤングアンドフレッシュの四人は相変わらずのお人よしぶりです。この作品ではどうしてもマコちゃんの可愛らしさに目が行ってしまったのですが、大変楽しめる作品でした。

「夕陽が泣いている」(’67)では挫折しながら最後にスパイダースと共演するヤングアンドフレッシュが描かれています。今回の共演もやはり和泉雅子さんで、メンバーの尻を叩きながらバンドを成長させるマネージャーの役柄で、セミロングのヘアースタイルと相まって大人のマコちゃんの魅力を堪能できます。
私にとっては「僕だけのエンジェル」の演奏シーンが最大のみどころで、このシーンを観るたび踊りだしたくなってしまいます。この曲も山内さん自身の作曲で、’67年5月にシングル盤がリリースされています。
初期の最大ヒットで、タイトルバックになっている主題歌を歌うスパイダースは私の大好きな「太陽の翼」も演奏しています。

ヤングアンドフレッシュの作品はたいていメンバーのほろ苦い表情がラストで映し出されますが、そんな描写も従来の手法とは一味違う、新しい見せ方という感じがしていいかな、と思います。

「ザ・スパイダースのゴーゴー向こう見ず作戦」では、松原智恵子さんが恋人で、煮え切らない山内さんに「愛してる」と言わせる為に悪戦苦闘する様子が描かれています。ヤングアンドフレッシュをバックに、「二人の銀座」で山内さんが歌った「きっと何処かに」をチーちゃん(松原智恵子さん)が歌います。チーちゃんのショートカットの容姿がいつになくセクシーで、いつもと違うチーちゃんの魅力が楽しめます。

話の流れが読めた方も多いと思いますが、次回はスパイダースの出演作について語ってみようと思います。

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ヤングアンドフレッシュ

seisyun_a_go_go’62年に日活の俳優仲間で「日活ヤングアンドフレッシュ」というバンドが結成されました。
メンバーは杉山俊夫さん(ギター)、杉山元さん(ギター)、山内賢さん(ギター)、木下雅弘さん(ベース)和田浩治さん(ドラム)の五人。当初は社内でのダンスパーティーなどで演奏していたようですが、いつしか本気になり、「ヤングアンドフレッシュ」として映画に出演するようになる、というのが今回の話です。

記念すべき第一作、「青春ア・ゴーゴー」(’66)は山内賢さんを中心として、エレキに夢中になった若者達がバンドを結成して、テレビ番組で勝ち抜いて行く、という青春映画です。上記の五人のうち、杉山俊夫さんはこの作品を含めて以後の「ヤングアンドフレッシュ」シリーズには参加されていません。代わってボーカルとして浜田光夫さん、ジュディ・オングさんが出演しています。
ストーリーはエレキに夢中な山内さんが、幼馴染の浜田さんに猛烈にエレキバンドをやりたい夢を話します。「俺の好きなのはエレキじゃないから」と腰が引けている浜田さんですが、ひょんな事から知り合う和田さん、杉山さん、木下さんを含めた四人がすっかりその気になり、山内さんの妹の太田雅子さんに惚れている弱みもあり、なかば強引に加入させられます。練習場所の杉山さんと木下さんが勤める会社の倉庫を追い出されて途方に暮れていた五人ですが、偶然に見つけた使われなくなった教会で練習していると、そこへひょっこり現れるのがジュディ・オングさん。彼女を含めたメンバー達がテレビのエレキバンド勝ち抜き合戦で10週勝ち抜きます。(偶然ですが、私の知人で本当に10週勝ち抜いて、ご褒美にハワイ旅行をした方がいるのですよ!)その後、ジュディさんはプロのバンドに引き抜かれて、他のメンバーは「今度やるときがあったら、絶対声かけてくれよ」と言って別れていきます。

本格的なバンド結成の物語なので、演奏シーンがなんと言っても最大の見どころです。ファンの方の中には、実際に演奏しているのか心配なさる方もいらっしゃったようですが、いくら演技の上手い俳優さんと言えども、(演奏できなかったら)ああは上手くいきません。和田浩治さんのちょっととぼけた好演ぶりも印象的でした。私はこの作品ではじめて和田浩治さんの魅力を知りました。
タイトルバックを含めたいくつかのシーンで演奏するスパイダースも雰囲気を盛り上げてくれます。(どういうわけか井上順さんがいませんが。。。)
例によって、日活らしく脇役たちも見事です。山内さんの妹役の太田雅子さんは山内さんや浜田さんにしょっちゅう憎まれ口を叩くのですが、二人へのほのかな友愛の情が感じられてなんともチャーミングなんです。「兄さんが受験に失敗したら、私の方が先に大学生になるのよ。恥ずかしくないの!」私にとってはこの作品こそ、太田雅子さんの代表作なんです!
和田浩治さんの恋人役の進千賀子さんも大人っぽくて、印象的でした。和田さんとボウリングをするシーンがあって、後のテレビドラマ「美しきチャレンジャー」への出演を思い浮かべると大変興味深いです。「私とエレキとどっちが大事なの!」クールです。
浜田さんの親戚役で、スパイダースのマネージャー役の波多野憲さんは「ザ・スパイダースの大進撃」でも同様の役で出演しています。山内さんの祖父の役の菅井一郎さんはちょっと頑固だけれど、意外と物分りのいいおじいちゃんの役で、この作品以後菅井さんの登場する作品に注目するようになりました。

この作品は私に日活の青春映画に本気で目を向けさせてくれた映画であり、日本映画においてのバンド結成物語という意味でも私にとって記念碑的な作品です。

この後もヤングアンドフレッシュの音楽映画が数本上映されるのですが、そのお話は次回に。。

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歌謡映画 IN 日活 (その2)

「御三家」という言葉を聞いたことのある方は多いと思いますが、最初に「御三家」と謳われた橋幸夫さん、舟木一夫さん、西郷輝彦さんは揃って日活作品に出演しています。

橋幸夫さんの出演した「いつでも夢を」(’63)は父の医院を手伝いながら夜間高校に通う吉永小百合さんを、橋さんと浜田光夫さんが張り合う青春映画です。主題歌の持つ爽やかで切ないメロディーと、夜間高校で奮闘する学生達の姿が相まって、実にすがすがしい印象でした。就職に失敗して落ち込んだ浜田さんを橋さんが元気付けようと酒場へ連れて行くシーンや、トラックの運転手である橋さんの助手の野呂圭介さんの好演ぶりも楽しかったです。

舟木一夫さんの主演した「絶唱」(’66)は大地主の息子の役の舟木さんと使用人の和泉雅子さんが周囲の反対を押し切って結婚する純愛映画で、普段は根っから元気なマコちゃん(和泉雅子さん)のいじらしい娘ぶりが新鮮でした。封建的な社会に反発して自分の力で歩んでいく若者の姿、というのは私の最も応援したくなるテーマで、この点も好印象の一因であると思います。
私は舟木一夫さんに対して、繊細なイメージを持っていたのですが、この作品をの堂に入った主演ぶりを通してずいぶん頼もしい印象を持ちました。舟木さんの許婚の役でわがままなお嬢様ぶりを好演した太田雅子さんも忘れることができません。

西郷輝彦さんの出演作では、「恋人をさがそう」(’67)「傷だらけの天使」(’66)の二本が特に印象に残っています。
「恋人をさがそう」は西郷さんを巡って高校時代の後輩の梓英子さん、遠い親戚で九州で裕福な暮らしをしている松原智恵子さん、喫茶店のウエイトレスの五月女マリさんの三人の女性が絡む話で、松原智恵子さんが祖父の意向を受けて西郷さんを九州へ連れて帰るシーンがメインになっています。てっきりチーちゃん(松原智恵子さん)と一緒になるのかと思いきや、ラストで梓英子さんと手をつないで歩いていくのがミソ。
西郷さんのいとこで、おじいさんに反発しながらみかん畑を守っている和田浩治さんの寡黙な青年の役もみどころ。

「傷だらけの天使」(エンジェル、と読んで下さい。萩原健一さんのTVドラマとはまったくの別物)は西郷さん自身の原作で、姉の謎の死を解き明かすサスペンス風味の青春映画です。
とにかく、主題歌がいいんです。哀愁を帯びたメロディーといったら、まさにこの曲、という感じです。エンディングでのチーちゃんが走っていく画像に合わせてテンポが速くなっていくアレンジはこれぞ画像と映像の見事なコラボレーション、という感じです。レコードではもっとビートを強調したアレンジになっているのですが、こちらはまさにGSビートそのもので、更にスバらしい。エンディングの映像を見るたび、ジーンとしてしまいます。
ちょっと主題歌の話が長くなってしまいましたが、ストーリーもなかなかいいんです。
殺人の罪を着せられて少年院から戻った西郷さんが地元に居づらくなって東京へ出るのですが、幼いころから西郷さんを慕っていた松原智恵子さんが西郷さんを追って東京にやって来る。二人を暖かく見守る周囲の人達の様子、あたりが前半の主な場面。後半は姉の突然の死の真相を探っていくうち、チーちゃんの兄、父、運転手が事件に関わっている事が判り、苦悩するチーちゃん。そして感動のラストシーンへ。。まあ、後は見てのお楽しみということで。。
配役で印象的だったのは、郷里の友人で何かと西郷さんの面倒を見る武藤章生さん、チーちゃんの婚約者でありながら、二人の仲を取り持つ塚本信夫さん、西郷さんの勤め先の社長で、何の臆面もなく自分の奥さんを褒める嵯峨善平さん、姉の死に深く関わり、東京へ飛び出したチーちゃんを連れ戻そうと執拗に迫る草薙幸二郎さん(凄みのある悪役ぶりでした。)、と脇役に事欠きません。
劇中で西郷さんの歌う「初恋によろしく」「霧の中の口笛」も、もちろん見事です。

御三家の話だけで終わってしまいましたね。(笑)この話題、もう少し続きます。

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歌謡映画 IN 日活

「エースのジョー」について書きたかったのですが、またも袋小路に迷い込んでしまったので、日活の歌謡映画について書いてみます。

先に触れました「嵐を呼ぶ男」(’57)は見どころ満載!です。なんといっても、バンドリーダーの福島慎介を演じる岡田真澄さんがカッコいい。石原裕次郎さんを特訓するシーンでの、「走る、走る」というセリフ、いかにもミュージシャンらしくて、シビれました。役柄も実に好人物で、嫌みの無いスマートさが良く描かれていました。(一説によると、渡辺プロダクションの社長、渡辺晋さんがモデルだとか。。)石原裕次郎さんとドラム合戦をするのが、なんと有名なジャズシンガーの笈田敏夫さん!冒頭の歌のシーンのみの出演ですが、平尾昌章さんも「ロカビリー三人男」の異名に恥じない熱唱ぶりを見せてくれます。バンドメンバーの役の柳瀬志郎さんもミュージシャンの雰囲気が良く出ていました。

日活映画の定番の一つに「ナイトクラブで歌う(あるいは踊る)」シーンがあるのですが、日活にイカした歌謡映画が多いのはこういう伝統と関係があるのではないでしょうか。

前回取り上げた「抜き射ちの竜」で「一対一のブルース」を熱唱している西田佐知子さんは、「アカシアの雨がやむとき」(’63)では、主題歌を歌うとともに、葉山良二さんの恋人役で、ツボを押さえたいい演技をしています。
岡田真澄さんといえば、「赤いランプの終列車」でのお人好しだが金銭にルーズな芸能プロダクションの社長の役もたいへん印象的でした。

日活全盛期には、二本立ての添え物として60分以内で作られた「SP」と呼ばれる中篇映画が数多くあり、歌謡映画も多数存在します。私が観た中では、前述した「赤いランプの終列車」の他に、稲垣美穂子さんが実にチャーミングな「浅草姉妹」(’60)、フランク永井さんの抑えた演技と筑波久子さんの可憐さが印象的な「らぶれたあ」(’59)(キャストは僅か4人!)小林旭さんの殺し屋ぶりが「まるで子供が洋服屋からかっぱらってきたとしか見えないスタイル」と評された「夜霧の第二国道」(’58)、青山恭二さんが照れ屋で男っぽい船乗りを演じた「男のブルース」などがあります。

やっぱり、自分が音楽を趣味にしているだけあって、歌謡映画に関しては話題がつきません。次回もこの話題で行こうと思います。
この駄文に付き合っていただいた方で何か感想やご意見などがございましたら、ぜひぜひコメント欄にお書きいただきたいと思います。よろしくお願いします。

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脇役がいいから、日活は面白い

以前に「拳銃無頼帳・抜き射ちの竜」という作品を取り上げたのですが、この作品は正に脇役の面白さが堪能できる、日活らしい作品だと思います。
ストーリーは相手を殺さず、肩を射ちぬくことで相手を倒す、赤木圭一郎さんのギャング映画です。(一般的には「アクション映画」と呼ばれていますが、義理人情に支配されるいわゆる「任侠映画」的な要素のほとんど無い作品を私はこう呼ぶことにします。)
赤木圭一郎さんの主演ぶりももちろん素晴らしいのですが、私が気に入っているのは荒唐無稽な役柄を実に楽しんで演じている脇役たちなんです。
「俺の顔に色をつけたのはお前で三人目だぜ。あとの二人はお墓の中で眠ってるぜぇ」という歯の浮くようなセリフをなんのてらいもなく言ってのける宍戸錠さん。「このトケイ、また買えばイケド、イチトヤブタ誓い、モドテこないね」と怪しい日本語で赤木さんを組織に引っ張り込む西村晃さん。中華料理のコックのはずなのに、これまた怪しい日本語を駆使してボスの右腕を演じる藤村有弘さん。謎のトランペット吹きとして組織に潜入する麻薬捜査官でヒロインの兄の役の草薙幸二郎さん。といった面々がスクリーンを駆け回ります。
歌うシーンのみの出演ですが、西田佐知子さんの「一対一のブルース」という渋いナンバーも印象に残りました。
「日活アクションの華麗な世界」の著者、渡辺武信さんによると、脇役を入念に描くと、作品全体に厚みが出てくるということで、この文章を読んでからこの作品の面白さの秘密が分かったような気がします。

ここで私が「脇役」というのは、必ずしも主演以外のキャストという本来の意味にとどまらず、大スター以外の主演作(宍戸錠さん、葉山良二さん、川路民夫さん、青山恭二さん、待田京介さん、山内賢さんなど)も含みます。
共通しているのは、「スター以外の人たちにも見せ場がある」ということです。もしかしたら若い俳優を自前で育てあげる必要に迫られた日活という会社の宿命的(肯定的な意味においてですが)なものがそうさせたのかも知れません。

次回はこうした俳優さんについてとりあげよう、と思っています。

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芦川いづみ

b01勢いだけで日活の事を書いてきましたが、ちょっと袋小路に迷い込みそうだったので、私の永遠の憧れのひと、芦川いづみさんの事を少し。。。

芦川いづみさんが同じ日活の若手俳優の藤竜也さんとの結婚を機に引退したのが昭和43年ですから、既に30年以上の時が経っており、ご存知のない方が多くいらっしゃるのも、無理は無いと思います。
しかし、当時の映画ファンであれば、恐らく知らない人はいないでしょう。清純で控えめな感じの役柄が多かった女優さんですが、相手役の男性を叱り飛ばす気の強い写真家のアシスタントや(あした晴れるか’60)知恵遅れで子供のように純真な娘(硝子のジョニー 野獣のように見えて’62)など、従来のイメージとはかけ離れた役柄さえ、なんの不自然さも感じさせないほどの女優だったのですから。。

私がいづみさんを初めて観たのは、「州崎パラダイス 赤信号」(’56)という映画のひたむきな(たしかそば屋の)店員の役で、私にはとびきり輝いて映りました。
その後、「嵐を呼ぶ男」(’57)で、石原裕次郎さんの住むアパートの管理人の娘で、裕次郎さんを慕っている役のいづみさんを観て、決定的に好きになりました。
その時感じたのは、時代を感じさせない、今その辺ですれ違っても全然おかしくない現代的なひとだな、と思ったことです。
その時の気持ちを自己分析してみると、それだけ役になりきって自然に演じている事と、時代に左右されない普遍的な美貌の持ち主という事じゃないかと思います。
いづみさんの容姿はいわゆる美人コンテストに出てくるようなタイプではなく、近所に住んでいそうな綺麗なお姉さんという感じですが、作品ごとに見せてくれるさまざまな表情、というのも大きな魅力のひとつだと思います。

私の特に印象に残っているのは前途二作品及び()で示した二作品の他に、私の住んでいた場所のすぐ近くで撮影された「乳母車」(’56)、婦警さんの役がキュートな「喧嘩太郎」(’60)、クリスチャンのシスターで宍戸錠さんと共演した「気まぐれ渡世」(’62)実に話のわかる女教師の役で吉永小百合さんと共演した「美しい暦」(’63)、怪しげな結婚相談所の女主人に騙され、身を持ち崩していく「結婚相談」(’65)、渡哲也さんでリメイクされ、前作では北原三枝さんが演じた女性マネージャーの「嵐を呼ぶ男」(’66)などなど、数え上げたらきりがありません。

結婚を機に、引退してからは公の場にお出にならないいづみさんを、若い世代の方がご存知ないのは無理のないことだとは思いますが、私にとっては永遠に憧れのひとである事に変わりありません。(ゴメンネ、奥さん)

尚、「芦川いづみさんの部屋」といういづみさんの魅力をあますところなく見せてくれる素敵なホームページがありますので、ご存知ない方はぜひぜひ訪ねてみてください。

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日活が好きになったいきさつなど

いつごろから日活の存在を意識するようになったか、思い返してみたのですが、最初はどうやら歌から入ったようです。
はっきり覚えているのは石原裕次郎のシングル盤を17歳くらいの時に買った事です。それ以前からテレビでは日活の映画を観ているはずなのですが、感銘を受けるというほどでは無かったと思います。
映画館で最初に観たのは石原裕次郎のオールナイト4本立てで、「俺は待ってるぜ」「風速四十米」「嵐の中を突っ走れ」(あと一本は忘れました。)といった作品を朝までしっかり観ていました。(21の時です。)
良く、裕ちゃんの映画を観終った観客が肩で風をうんぬん、という記述を目にしたのですが、私もたぶんそんな感じだったのでししょう。何か今までの映画と違う、言葉には表せない面白さみたいなものを感じ始めました。
決定的だったのは、「嵐を呼ぶ男」をテレビで観た時だったと思います。
とにかく岡田真澄さんがクールで、そしてカッコいいんですよ。大人の言葉で言うと、抑えた色気、とでもいうんでしょうか。。
それともう一人、前から気になっていた、バンビみたいな女の子が可愛いのなんの。。。
その女優さんが未だに私の憧れの人、芦川いづみさん、そのひとだったのです。
この頃になると気づきはじめたのが、日活のヒーローは影があるっていうか、どこか弱さみたいなものをひきずっているっていうか、自分が共感できるものを持っているように思った事です。
引き合いに出して申し訳ないんですが、加山雄三さんの映画って入り込めないんですよ。なんか最初からヒーローが活躍するのが判っているっていうか。。
当時、日活映画に関する記述を目にする機会は殆ど無かったと思います。それも日活を応援したくなった一因かも知れません。
そして、「嵐を呼ぶ男」見たさに行った映画館で併映されていた「拳銃無頼帳・抜き打ちの竜」、この映画、観た時はそれほど感動しなかった筈なのに、後からいろいろなシーンを思い浮かべると、気になって仕方ないという感じだったのです。
それからしばらくして、渡辺武信さんの書いた「日活アクションの華麗なる世界」という本を読んで、どうして日活にハマっていたのか理解できたような気がしました。
つまり、作り手が若ければ演じる側も若い、観客のターゲットも若い、というまるで50年代初期のロックンロールのような手法で作られた作品群だったからです。

こうして、日活映画がヤスシの楽しみのうちの重要な部分を占める事になったのです。

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日活

こんにちは、ヤスシです。
以前から「ユミーナパラダイス」みたいなコンテンツを作りたいと思っていたのですが、近頃は「ブログ」なる便利なモノが流行っているようなので、私もやってみようかなと。。。
ここではヤスシの趣味について語っていこうかなと思っています。
デザインなど、皆目見当がつきませんが、どんなページになっていくのか、楽しみでもあります。

手始めにタイトルにもあるとうり「日活」について少し話してみたいと思います。
みなさんも石原裕次郎や小林旭といった名前を聞いた事があるんじゃないかと思いますが、裕ちゃんやアキラが大活躍していた映画会社、それが「日活」なのです。

私が日活に惹かれているのは、「若い人の映画」ということなんです。
戦前にメジャーの一つであった日活は、終戦後製作再開が大きく遅れてしまいました。
昭和29年に製作を再開するにあたって日活の台頭を恐れた他の会社はいわゆる「五社協定」なるものを作り上げました。
つまり、監督もスタッフも俳優も日活には行かせない、日活へいったらよそでは仕事をさせない、といった要は「嫌がらせ」だったわけです。
必然的に日活はよそでくすぶっていた若い助監督を起用、俳優も自前で育てる、といったことを余儀なくされたわけです。
その結果、若いスタッフが作り、若い俳優が演じる、という大人の価値観に縛られない作品群が出来上がっていきました。
そこには従前表れてこなかった、「自分たちの声」というものがスクリーンを駆け回っていたのです。
これが私の「日活」に対するおおまかなイメージです。

次回から少しづつ具体的な話をしていこう、と思っています。

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